ペットロスについて |
ペットロスとはペットロスとは文字通り「ペットを失う事」です。愛する家族を亡くしたことによって、様々な心身(精神的・身体的)の症状が起こります。これはペットと共に過ごす事によって培われた深い愛情・愛着が、突然訪れたペットの「死」によって行き場を失った事によって引き起こされる症状だと言われています。もちろん、その症状の程度は人それぞれです。 眠れなくなったり、食欲が落ちたりする場合があるようです。この状況が短期間で治るのなら、問題視しなくてもいいでしょう。ただ、これが1カ月以上、悲しみが癒えずに不調が続くようなら、一度病院に行って相談するのがいいかもしれません。 家族を失ったのですから、悲しむのは正常なことです。ただその期間が長くなり、体調に不調をきたすようになっては、亡くなった子も喜びません。 ただ、ペットロスで苦しむのを理解できない人もいるのも現実です。 「たかがペットのことで休むなんて」 「たかがペットが死んだくらいで」 「また飼えばいいじゃないか」 そんな言葉を言われ、余計悲しくなる方もいるかも知れません。亡くなった子も喜ばない、と書きましたが、それすら辛くなる一言になってしまうかもしれないのです。 腫れものを扱うように、とはいいません。普通に接した方がいいのです。ただ、体調が悪い事を責めないで上げてください。頑張れとか言わないでください。時間が解決してくれる問題でもあります。それでも一向に悲しみから立ち直れなければ、カウンセリングや心療内科に通う事をお勧めします。怖くないですよ、心療内科は。 ペットロスにならないためにペットは自分より早く死ぬものだと、念頭に置いておくことが大切だと思います。これから迎える人も今飼っている人も覚悟をしておくことで、一時の悲しみだけで済む場合があります。 生命に永遠はありません。必ず終わりは来るのです。それは自然の摂理です。異常な事ではなく、正常な事だと認識することです。 納得がいく最期を病気の時などでは、最善を尽くしてあげたいと言うのが飼い主の気持ちです。その最善を尽くすという事に不可欠なのが、獣医師という存在です。いわゆる、かかりつけ医師です。 素人である私たち飼い主より、獣医師はたくさんの症例を見てきています。どこまでの治療が最善なのか、獣医師と相談する事が重要です。難しい問題ですが、納得のいく最期を迎えさせてあげましょう。 次の子を迎えるにあたってペットを失ってすぐ次の子を迎える人もいれば、なかなか忘れることができずにしばらくペットを迎えない人がいます。自分は後者でした。 いい思い出として心の整理がつくまでに時間がかかる人も珍しくありません。 ただ、失った子を忘れるために無理に次の子を飼うのは間違ってると思います。亡くなった子の代わりでは、次の子がかわいそうです。代わりではなく、新しい家族として十分に愛情を注いであげてください。 ペットロスは人間だけの問題ではない多頭飼いの場合、他の仲間たちにも悲しみはあります。 元気がなくなったり、食欲が低下したり、体調を崩したりすることもあります。私たち飼い主が遺された他の子たちのサポートをしてあげましょう。 体験談駄文なので、飛ばしてくれて結構です。 種類は違いますが、私はたくさんの生き物と一緒に生活してきました。ハムスター・シマリス3匹・柴犬です。 どの子も愛情いっぱいに育ててきたつもりです。ハムスターは天寿をまっとうしてくれました。その顔はとても安らかでした。悲しみ、涙も流しました。それでも、数日後には普通に生活していました。周りに心配をかけてはいけない、というのもあったからかもしれません。 メスのシマリス2匹は、私の勉強不足と不注意で亡くしてしまいました。もっと勉強していれば、と後悔します。最初の子は学校をサボりました。体温がどんどん落ちていく小さな子リスを温めていました。それでも昼頃には息を引き取りました。小さな鼓動が止まる瞬間を、手の中で感じました。そのあと、2日くらい学校サボりました。 2匹目に迎い入れたオスのシマリスは、目に障害を持っていましたが比較的元気に育っていました。8年、でしょうか。ある日帰ってくると、小屋からはみ出していたティッシュが赤くなっているのを見つけました。慌てて小屋を開け、中を見るとすでに亡くなっていました。ティッシュは血に染まっていて、外傷は見当たらなかったので血を吐いたのだと思います。眼は閉じられ、口は大きく開いていました。ショックでしたし、同時に自分を責めました。なんで気付いてあげられなかったのかと。病気だったのかもしれないのに、と。友人から「小動物は病気を隠すから、リュウのせいじゃないよ」そう言われました。それでも、自分を責めることは止められませんでした。悲しみのまま、彼を土に返しました。大好きだったひまわりの種とともに。数日後、埋めたところから芽が出ていました。彼の命を引き継いだんだ、と嬉しくなりました。帰ってきたら抜かれてました。泣きました。と、今になっては笑い話ですが。 2匹目の子が2歳くらいの時に、3匹目のメスのシマリスを飼いました。彼女はやんちゃで、いろんなものを噛んでました。元気がいいのは結構だが、コードは噛まないでくれよーと思っていました。念のため、コードが見えるところは絶縁テープをぐるぐる巻きにしていました。しかし、出掛けている最中にそのテープまで噛みちぎって、コードの配線があらわになってました。感電死させてしまいました。もっとコードが口に入らないようにすればよかったのに、と彼女に触れる時は後悔します。 最後に柴犬です。オスの柴でした。いたずらっこで間抜けでいつもぽけーっとしてました。あほな子ほどかわいいもんです。彼は気が付いたら亡くなっていました。その頃体調を悪くして自宅療養中で、寝たり起きたりの繰り返しだったのです。ふと彼を見ると、暖房機の前(冬場の定位置)で気持ち良さそうに眠っていました。しかし、その時にはもう亡くなっていたのです。今朝は元気だったのに、ご飯も食べていたのに、急に亡くなっていました。悲しみよりも唖然とする気持ちが先に出ました。 5匹の死を私は体験しました。それでも、悲しみを引きずる事はありませんでした。死ぬものだと、幼少の頃から知っています。小学校での生命の尊さを学んだのは無駄ではなかったと思ってます。学級飼育で学んだことは無駄ではありません。命を尊び、死を認める。それを学べました。だから、私は1週間ほどで悲しみからいい思い出に変えられたのだと思います。 今は生まれたばかりの「ちわ」ですが、いつかは旅立って行きます。悲しいことですが、それが自然なのです。そのことを心の底で覚悟しておきながら、私はできるだけ「ちわ」との楽しい時間を作っていきたいと思っています。 |
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